心の変化・気づき

江戸時代から始まる我が家の家系図が発掘されました

こんにちは!

お盆に先駆け、先祖に興味津々のかぜぱです。

以前父方の祖父母宅に遊びに行った時にそれはそれは年季の入った家系図なるものが発掘されまして、その時は何て書いてあるのか分からなさすぎて、別に家業とかないのに家系図とかあるんだなぁ〜とだけ思っていたのですが、

先日父親から家系図の写真を手に入れまして、暇だったので解読作業をしてみたところ…

先祖のめっちゃ近所に住んでるし職場も近いことが発覚。

名古屋で生まれて横浜で育って大阪で就職して…気がついたら先祖ゆかりの地に吸い寄せられてました。

とまぁ不思議な引力の話はさておき、家系図に登場した先祖たちがなかなか面白かったので、ご紹介させてください。笑

祖先は尼崎城の城主に雇われた浪人

江戸時代の末期ごろで徳川家光の時代の話。あの参勤交代の人。

私の祖先は兵庫県尼崎市にある尼崎城の城主、青山幸成という人の家来だったらしい。

「浪人」って書いてあったので、武士や侍などの主君に使える身分とかではなく傭兵的な雇われ武士みたいな立場だったようです。

でも江戸時代の時点で苗字があるということは武士だったのか…?

浪人になる前は誰かしらに仕えてたのかなぁと予想。

ちなみに江戸時代では苗字を名乗ることを禁じられてる時期がありました。

その後尼崎城での仕事から転職(?)して最終的には大阪東町奉行という奉行所(今でいう警察や裁判所)で働いてたらしい。

カッチカチに真面目な仕事しとる…

そしてこの大阪東町奉行所を調べたところ、私の現在の職場にびっくりするくらい近いことが発覚。

ちなみに尼崎城も家から30分以内で行ける距離。

近いなぁ。笑

その祖先の9人の子供たちが初代

先に述べた祖先は「祖先」という項目で括られて書いてあり、最後に9人の子供の名前が書かれていて「その人たちを初代とする」と但し書きがありました。

そして私の家系図の初代の名前は、1651年生まれの

灘屋九兵衛

…さては末っ子だな。笑

しかし先祖は苗字が「風早」だったのに「灘屋」になっている…

先ほどもちらっと言いましたが江戸時代では苗字の公称は武士の象徴とされていたため禁じられていた時期があり、代わりに屋号というものをつけて名乗っていたようです。

ではなんで灘屋…?

おそらく…

灘に住んでたから。

兵庫県神戸市にある灘区らへんに住んでたんでしょうね。笑

住んでる場所や仕事の内容など家にゆかりのあるものからつけてたそうです。

そして「九兵衛」というのもおそらく後からつけた名前なのか、その名前の下に本名らしき下の名前が書かれていました。

これは7代目が生まれる1848年まで続いていて、明治時代に入ってからはみんな本名で書かれているので何かしらの時代背景がありそうですな。

我が家のクセ強先祖自慢

茶道極めすぎて分家した:利右ヱ門

こちらの方は4代目当主になるはずだった人。1751年生まれ。

26歳の時に茶道を極めすぎた結果、風早家から分家して京都へ行き、新しい家系の初代当主になった人。

としえもん。

他に色々やってたらしいのですが知らない漢字と崩し字で解読できず…

ちなみに分家したものの自分の息子の代(2代目)までしか続かずに

次のクセ強7代目当主の時代で再び風早家に戻ってきます。

お堅い仕事の家系かと思いきや、芸術派でトガってた先祖もいてなかなか面白い。

破産して離婚して新聞記者になった放蕩者:理三郎

7代目当主理三郎1848年生まれ。

なんかこの人の説明だけ自虐多いし文章ダントツ長いなと思っていたら

この家系図を書いた本人でした。笑

『7代目理三郎を襲名相続したけど生来放蕩して家事が収まらず商業の手違い等あって明治11年(1878年)破産やむなし。〇〇さんに土地を売って、妻とは離縁しました。』

っとまあざっくり書かれていました。

なんの商業してたんや…

しかも手違いで破産ってどういうことやねん…

この時点でまだ個人プロフィール全体の半分。30歳。

その後はというと、なぜか東京に行き3年後の1880年に大阪に帰ってきて商法会議所なるところで働いて、1889年になぜか新聞記者になってました。

41歳で新聞記者に転向か…面白い人生だな。笑

おそらく書くことが好きだったんでしょうね。だから家系図書いたのかなぁなーんて予想。

そして1909年に新聞記者やめて息子のところで世話になってまーす!って書かれて締めくくられてました。

61歳で辞めてることから20年間新聞記者としてちゃんと還暦まで働いてました。

生来放蕩だったのに。笑

東京の3年間で何があったんや…

明治に入ってから初めて東京ー大阪間に線路が敷かれて片道20時間だったそう。

東京行ってみたかったんやろうなぁ

挑戦するのに遅いなんてことはないよと経験をもってして教えてくれる一番自由人な先祖です。

まとめ

ここまで脈々と先祖が命を繋いでくれたから今の自分がいるんだなぁ。と。

家系図を見ていなかったらこんなにリアルに実感できなかった。

放蕩者の7代目理三郎の元嫁が生まれ育った地域に今私は住んでいるし、

なんなら理三郎の長女は私が住んでる地域の人の家に嫁入りしてるし、

8代目の妻が育った場所は今働いてる会社の近くで通勤ルートだし

なんだか一族の女性陣に見守られてる感がすごい。笑

こんなにも偶然に偶然が重なっているのは本当に偶然か…?と思うくらい今の生活と先祖の生活圏がリンクしてる。

一族のことをネットにあげるのはどうかとも思いましたが、兄弟がいないのと私が女性というのもあり、私が死んだらこの一族は終わってしまいます。

女は当主になれない…という古い慣習に従うと…ですが。

自分が生きていたという証が命だけではなく文字や物語として残っているというのは素敵だなぁと家系図を見て思ったのです。

先祖の皆さんが私の命を生きた証と思っていただけたらいいとは思っておりますが、私一人で全てを受け止めるのはなかなかに容量オーバーなので…

ネットに少しバックアップとらせていただきました。笑

先祖の皆様、お盆にお墓でお会いしましょう。

もしかして既に近くで私が記事を書いているのを見てるのかもしれませんが。笑

ABOUT ME
KAZEPA
1994年名古屋生まれ横浜育ち大阪在住。 3歳からダンスと共に育ち、中高バレーボール部、大学は東海大学体育学部で割とアクティブに過ごす。そして現在はエンターテイナー兼クリエイターとして人生を楽しんでいる。